【実家への帰省】30代で母との別れを経て。父と母への想い。

真冬の北国。母がいない初めての実家。

母が亡くなってから4ヶ月。

今は父が1人で暮らす実家へ。

まだ母がどこかにいるような、寂しいというより、不思議な思いでいます。

私の中で処理できない気持ちがまだ沢山残っていて、死を感じられないというか。

こんな気持ちははじめてです。

母を目の前で見送った

これまでも、祖父や祖母、叔父など何人かの死に直面しましたが、

自分の目の前で静かに息を引き取る

生から死を見届けることになったのは母がはじめてでした。

病院のベッドで徐々に呼吸が弱くなり、脈が測れなくなり

ずっと握っていた手が冷たくなり、悪い夢でも見ているような、とても受け入れ難い現実でした。

「消化器系で亡くなる方は、お腹に腹水が溜まることが殆どだから」

と病院勤務の従姉妹に言われた通り、母も例に漏れず、最期は腹水が溜まり

母の苦しむ姿をただ、見ることしか出来ない自分が無力で無念で、何もできない現実に自滅しそうな思いでした。

母は誰に聞いても、皆口々に「我慢強い」という人でしたし、

母自身も病気に負けないという強い気持ちを持ち、直向きに日々を送っていることはいつも感じていました。

そんな母でさえも

亡くなる三日前には、「こ◯して欲しい」と父に言ったといいます。

あの母がそんな事を口にするなんてと、今でもこのことが忘れられず、

思い返すたびにどれほど辛かったのだろうと胸が抉られる想いに駆られます。

病とは普段「そんな事を言う人じゃない」のに、そういうことを言うまでに蝕まれてしまうものです。

病気になっても弱音を吐かない、ベッドの上でも笑顔でいる母がそんなことを言うくらい

病というものはやはり恐ろしいです。

もう病気の痛みが全身に回り、自由に動くこともできない、

母にとっても、私たち家族にとっても死を待つだけの恐ろしい時間でした。

私は母がこんな状況なのに、子供たちのことや、やらなくてはならないことが立て続けにあり

心がショック状態のまま、どうにか日々をやり過ごすしかなく感情がどこかフリーズしていたようにも思います。

ふと、自分がまだ30代で、この先母がいない人生を想像したら、

本当に果てしない寂しさをずっと背負って生きていかなくてはいけないのだなと思いました。

そんな気持ちを母が亡くなってからいつも何処かで思い出しては心にしまい、

日々の忙しさに埋もれながら帰省した今回の冬。

父との距離

正直、父とはあまり仲が良くないと言っては語弊がありますが

手のかかる大きな子供というか・・

母も、色々大変だっただろうなと思います。

不器用で一生懸命だけれど、少々自分勝手だなと感じる部分があります。

田舎特有の義理人情に厚い部分はあれど、理解力があり、頼もしい父親像とは遠くかけ離れた人です。

これまでも、家のことは母に任せっきりでしたから、さぁ大変です。

父の代わりにあれこれ、いろんな手続きに追われ、帰省しても寛げはしません。

寂しがりやの父なので、母がいなくなり相当堪えているようです。

母のこれまでの父との生活の苦労や心労を思うと、

日常の様々なシーンで、小言の一言、二言父に言いたい気持ちが込み上げます。

しかし、いつもそれをグッと堪え、

なんだかんだで、母が病気になってから、父しか母の側にいて面倒を見てあげられなかったことを思うと、

遠く離れた地にいて頻繁に顔を出せなかった自分には何も言う資格はないのだと戒めるしかないのです。

口を開くと父を傷つけてしまう言葉が溢れてしまいそうで、

だけど、傷心に駆られ、日々こんなに心をすり減らして生きている父の気持ちをさらに摩耗するようなことはやはりできないのです。

だから会話の節々で「ん?」と思うような発言も否定もせず、肯定もせず、

「あぁ、そう」とか「そうだね」などと、ただただ、相槌をうってやり過ごすようにしました。

父は、母と不仲な時期もあり、私達が幼い時、離婚話もこれまで何度もありましたが、

母に対してはとても愛情深く、

夏に亡くなった後も「雪が降って寒い中にお母さんを置いたら可哀想だ」と言って

遺骨はまだ父の側に置いてあります。

一周忌を目処に納骨をする予定ですが、

帰省時も、母はいないのに、母の遺骨はあり、

なんだかまだ側にいるような、だけどそれが父の寂しさを加速させているようにも思いました。

親孝行できて良かったこと

とりわけ、私は子供が生まれた時点で、生死の順番のようなものをどこかで感じでいて・・

自分に子供が生まれた。新しい命の誕生と引き換えに、親はどんどん死に向かっていく。

そんな気持ちがいつもどこかにありました。

だからではありませんが、今振り返ると自分の中で「親孝行ができた」と思える出来事に少し救われています。

親としては「親孝行」だなんて思っていないかもしれませんが・・

例えば、コロナ前まで、父と母に旅行のプレゼントができたこと

(だいたい近場の温泉に宿泊のような感じでしたが)

宿泊先のホテルにサプライズを依頼して、母にお誕生日祝いのケーキをプレゼントしたこと、

取るに足らないことかもしれませんが、母に自分の手料理をひと通り作ってあげられたこと、

そして、私が結婚して孫が産まれ、私への心配がなくなったことでしょうか。

(現在は多様性の時代なので、色んな生き方があってそれで良しな世の中ですが、

口には出しませんが、母は孫が見たいタイプの人でした。)

30代で母との別れを経て

2年ほど前に主人の祖母が亡くなった際、

私にとって、死とはまだ遠くにある存在でした。

主人のお母さんは70代で自分の母と別れたことになりますから、

人生100年時代と言われる昨今、私もまだまだ母といられるものだと安易に考えていました。

しかし現実は30代で母を見送り、つくづく人生には「まさか」と思うことが起きるのだなと思いました。

母の死で、自分の死生観のようなものへの変化はまだよくわかりませんが

とにかく家族のために健康には気をつけよう。

いつ何があるかわからないから、周りの人(家族含め)に出来るだけいつも優しくしよう。

隣人を大切にしよう。

子供たちに伝えられることは、できるだけ思ったらすぐ伝えるようにしよう。

やりたいことが出来るように、コツコツ毎日頑張ろう。

なんて以前より思うようになりました。

やはり、究極に孤独や寂しさ、窮地に陥ってしまった時、記憶によって人は支えられていくものだなと思います。

過去のあたたかい出来事や、楽しい思い出、人の優しさに触れた記憶が自分を奮い立たせ、

頑張って生きていこうという希望を与えてくれるものだと思います。

大切な人には、いざという時のため心の糧になるような思いの種をプレゼントできたら良いなと思います。

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