今更だけどマイホーム⑩【終の住処を探して生を振り返った】

終の住処なんて書きましたが、体にガタがきたら別の住居に移るかもしれないし、案外故郷に舞い戻っているかもしれないし、どうなるかはわかりませんが、母の病の件で、死を身近に感じていた私は、少なくとも歳をとってからも住む場所というイメージで住居を探していました。

母の病が発覚してから、住まいに対して色んな思いを巡らせるようになり、自分にとっての実家の存在に思いを馳せました。

良い思い出もいやな思い出も、あの家とともにあったな〜と振り返る私の実家。

辺鄙な場所だし、元は湿地帯(最近知った。笑)だし、胸弾む素敵な思い出より、あまり思い出したくない出来事の方が多い気もするけど、なぜだか不思議と心温まる居場所。

父の代まで親子3代であの土地に住んで、私たちの代でその場所から離れる選択をした。今までなんとも思わなかったけれど…

父も母もいなくなってしまったら、家は遅かれ早かれ解体しなければならないし、そうしたら、もう思い出がたくさん詰まった場所、帰る家がなくなってしまうんだなー…としみじみ。

不意に”故郷がなくなる”という、猛烈な寂しさに襲われました。

実家の両親には、自分達がいなくなったら、遺した財産(って大金があるわけではないけど)で、この家の解体をお願いして欲しいと言われましたが、色んな想いが詰まったこの家をすぐに解体なんてできる気がしないよ〜…と今から感じてしまいます。

いつだったか、私が今回、家探しをしている時に、その地域で古くから不動産屋を経営している方に「空き家であるには、その理由が思いの外複雑であり…」という話を伺ったことを思い出しました。

単に更地にすると固定資産税が高くなるとか、親族間の結束が取れず相続問題が収拾つかないなどもあるけれど、家に思い出をしまっておきたい…のような、何もなくなり誰もいなくなり、思い出だけそっと眠る家。その気持ちに整理をつけるのは早々には難しいのではないか…なんて思ったのでした。

かつては、6人(父・母・弟・私・祖母・祖父)で賑やかに暮らしていた実家。祖父が亡くなり、私が進学でいなくなり、弟も進学でいなくなり、祖母が10年前に他界…。今は父と母だけだけ、隣近所も誰それが老人ホームに入ったとか、引っ越したとかで周りも空き家が増え、シーンと静まり返り、なんとも寂しい一帯になりました。

私の代で、代々あの土地で生きていた歴史が終わるんだな〜と思うと、(ちょっと大げさですが)なんだか、「百年の孤独」(ガルシア・マルケス)のような心境です。(一族の繁栄から衰退まで描いた作品)

家も生き物というか、「ちいさいおうち」(バージニア・リー・バートン)のように、幾たびの時代を超えて、そこにあるのが当たり前すぎて、そこになくてはならないものになっていたというか。

実家がなくなったら、そしたらもう、私の居場所はここ(今住んでいる地域)しかないんだなぁと。今でも、こっちに住んでいても、どこか自分をよそ者であると感じるのは、実家をホームに感じる気持ちが強いからなのかなと思います。

こどもたちは将来的に何処に住んでいるかは未知だけれど、ここに帰ってくると数々の思い出が蘇って、また明日から頑張ろうと思えるような、凹んでいても日々の背中を押してくれるような場所になってくれたら良いなと思います。

例え、いつか自分のものではなくなったとしても、あぁ、自分はここで生まれ育って色んな出来事とともに成長し、人に出会い、自分を作ってくれたんだな〜と、感慨深い気持ちを味わえるような、人生にそっと寄り添ってくれる家の記憶がプレゼント出来ればなと思いました。

いつのことだか おもいだしてごらん

あんなことこんなこと あったでしょ

うれしかったこと おもしろかったこと

いつになっても わすれない

ってね。笑

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