母が病気である。
この事実に目を背けたくなることは日常茶飯で、いつもふとした瞬間に私の前に現れては、心を掻き乱されます。
今の自分の選択がベストなのか、もっと母に寄り添えることがあるのではないか、母はあとどのくらい元気でいられるのか…同じことを何度も自分に問いかけながら、私は今自分が生きている年齢の倍以上の年月を、母という存在がいなくなった状態で生きていかなければならないかもしれない…と思うと、母の声や笑顔のない人生が急に恐ろしくなったりもしました。
全て頭の中でぼんやりとそれらを思い浮かべながら、もう元気な姿の母はとっくにどこかへ行ってしまった現実になんとも言えないやるせなさが込み上げてくるのです。
母が病気である現実が当たり前の事実として受け入れられてきた今、全てを投げ打って、母のそばにいたい気持ちももちろんありますが、それと同じくらい、自分には家庭、家族への責任もあります。身動きが自由に取れません。一時期、本当に生活拠点を移そうと試みましたが、子供達のこと、夫のことを考えると踏みとどまるしかない状況で、でも、それは仕方がないことなのだと気持ちに折り合いをつけるしかありませんでした。
私はその時その時で出来ることを見つけてやっていくしかないという結論にいつも辿り着きます。
母の病が発覚した時はただただ、落ち込み未来を悲観していましたが(まあ、これは今もあまり変わりませんが)しかし、病気と戦っている母の前で悲しむわけにはいきません。頑張っている母の前ではいつも通りの日常を過ごさせてあげたいのです。本当に辛いはずです。思うように動けず、体力のない身体で治療に耐えなければならず、それでも頑張るのは、多分、半分は私たちのことを思ってくれているからなのだろうと思います。だから、病魔に蝕まれていても、日常生活では幸せを感じられる瞬間はあるんだ…という気持ちを沢山感じてもらえるように、私はできることをするまでです。
思えば年末に、今年の母の日は迎えられるのだろうか…と思ったことを思い出します。
カーネーションと部屋着、そして最近絵本作りにはまっている長男の絵本を送りました。
私も絵本を作る長男の横でメッセージカードを作りました。
母が病気になって何もできなくなっても、出てくる言葉は「お母さんいつもありがとう」しかありません。
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