質素に品よく暮らす叔母の話【最良は良いものの敵?自分に足る量を知る】


70過ぎになる叔母がいます。

叔母は母の姉です。

その昔、結婚した当初は叔父の稼ぎも少なく、貧しかったようで

明日食べるご飯にも着る洋服にも困っていたといいます。

当時で言うキャリアウーマンだった私の母の着古したおさがりを

いつもとても喜んでくれたそうです。

クリスマスケーキが買えず、

出先でお酒1杯にも付き合えない。

そんな過去があっと知ったのはつい最近。

私が物心ついた時にはすでに生活も安定していたのか、

悠々と暮らしていた叔母。

お菓子作りやパン作りが上手で

素敵な食器でおもてなししてくれたり、

家の中には様々な生地で彩られた

趣味のハンドメイドのインテリアがセンス良く飾られて、

ゆったりとした時間が流れる空間に、子どもながらに、

なんかいいな〜。

忙しなく庶民な我が家とは大違いだな〜。

と思っていた記憶です。

しかし叔母は結婚当時の貧乏体験もあってのことだったかは

定かではありませんが、

かなりの倹約家だったようです。

一度どん底を味わうと、些細なことにとてもありがたみを感じるように、

どんなに生活が潤っても生活水準を極端に上げず

できる範囲で日常を楽しんでいたのだと思います。

叔母は、一見質素な食材をとっても豪華な料理に見せるプロみたいな人でした。

私の「こんな風に暮らしたい理想」のようなものは、

多分、叔母の贅沢せずとも、

工夫しながら生活を楽しむ知恵を育む姿を側で見て、

幼心に素敵だなとずっと感じていたからです。

吾唯足知という言葉があるように

自分に足りる量を知ることは

周りに振り回されずに生きていく上でも大切だと思います。

満足することを知っていれば質素な暮らしでも幸せであり、

満足することを知らなければ、

たとえお金があっても不幸である・・・

今思えばいつも控えめだけれど、どこか品の良い叔母の姿は

慎み深い心のマインドからくる優雅さだったのかもしれません。

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Le mieux est l’ennemi du bien.

「最良は良いものの敵」

フランス語の似たようなことわざ。

「一番良いもの」を求めすぎると、

今ある良いものまで台無しになってしまうことがある

という意味らしいです。

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